瞬月凌

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伊勢神宮②:紀元前の話

■第10代 崇神(すじん)天皇

就任5年目にして疫病が流行り、民の過半数が死亡。
6年目には農民が土地を離れて流浪するようになり、反逆者も現れ政権崩壊の危機。

「なぜ俺の代だけこんな目に…」と神祇官に相談したところ、「アマテラス」と「倭大国魂神(大和神社の神)」を並べて祀るからいけないのではないかという結論になった。

アマテラスと倭大国魂神の新居探しが始まる。

■倭姫命(ヤマトヒメ)

アマテラスの新居探し

崇神天皇の娘その1、豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)によって大和の笠縫邑(かさぬいむら)に祀られる。
その後、倭姫命が受け継ぎ、御神体である八咫鏡を持って各地を転々とする。
大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢に決定。伊勢神宮が創建される。

アマテラス曰く「常世の国からの波が美しい」という理由らしい。
大和朝廷は、東国へ勢力を延ばす海路の拠点として伊勢を重くみていたとされる。

なお、順次奉斎した場所は「元伊勢」と呼ばれる。
ちなみに倭姫命は東夷の討伐に向かうヤマトタケルに草薙剣を手渡したとされる人物。

■大和神社(おおやまとじんじゃ)

倭大国魂神の新居探し

垂仁天皇の夢枕で「国譲りとか言って実質侵略してきたアマテラスと一緒に祀られてたとか超不満」と語ったので、倭大国魂神も何処かへやることに。

崇神天皇の娘その2、渟名城入姫命(ヌナキイリビメ)によって祀られた。
しかしこれも気に食わなかったようで渟名城入姫命は原因不明の衰弱で巫女としての役割を果たせず。
大国主神から「天理とかに持っていったら?」と神託を受けて大和神社に祀られることになった。
倭大国魂神は大国主命の荒魂(あらみたま)であるという説がある。

■斎王(さいおう)制度

天皇に代わってアマテラスに仕えるために選ばれた未婚の皇族女性を斎王と言い、初代斎王が豊鍬入姫命。
占いで選ばれ、当選したら任期の約10年間は、年に三度伊勢神宮に赴く以外は三重県明和町の斎宮で過ごし、恋愛も禁止。

斎王制度は後醍醐天皇の時代、南北朝に分かれたことで廃止されるまで660年間続いた。
それまで60人以上の斎王が存在したという。
伊勢の斎宮がある三重県「明和町斎宮」では、今も発掘調査が続いている。

■第11代 垂仁(すいにん)天皇

倭大国魂神を大和神社に祀った天皇。アマテラスと旅をした倭姫命は垂仁天皇の娘。
相撲と埴輪の起原に関わっている。

■相撲神社

坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)の摂社。
当麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が、日本最初の勅命天覧相撲を行った地。

・当麻蹶速
死闘がしたくて仕方がない男。刃牙とかに出てきそう。

・野見宿禰
垂仁天皇が出雲から呼び寄せ、当麻とバトルさせた、地元では負け知らずの男。刃牙とかに出てきそう。

当時は現代の相撲ルールではなく、主に蹴り技の応酬。殺してもOK。
相撲が格闘技であるという所以である。

二人は互いに蹴り合った後に、野見が当麻の腰を踏み折って殺した。当麻の土地は没収され野見の土地となったという。
両者は共に相撲の神とされ相撲神社に祀られている。

ところで野見宿禰は埴輪の発案者でもある。
垂仁天皇の皇后の葬儀の時、殉死の風習に代わって埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられたという。
以後、野見家もとい土師臣は代々皇室の葬儀を取り仕切ることに。

© 2020 瞬月凌