瞬月凌

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伊勢神宮③:飛鳥~奈良時代の話

邪馬台国→ヤマト王権→日本になる。

日本を律令国家にするべく整備がされ、天武天皇と持統天皇によって、神話と伊勢神宮のストーリーも整えられていった。
当時の伊勢神宮は皇室の氏神として、一般人の参拝は禁止されていたという。

■第40代 天武天皇

・壬申の乱に勝利
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)こと天智天皇の死後、皇位継承をめぐって、天皇の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)と、天皇の息子・大友皇子(おおとものおうじ※側室との子供)が争った。
弟の大海人皇子が勝利し、天武天皇として即位。

・「神人分離」させる
神と各地の豪族首長が同じ空間に住んでいると、地方では豪族首長=神みたいなイメージなってくる。それはいかん。
豪族首長の居館の中で行われていた祭祀をすべて居館から出し、新しく「神の宮」を造るよう命じた。
「神社」の始まりである。

※出雲大社の祭殿は伊勢神宮より古いので、神のみのワンルームではなく人が一緒に暮らせるよう間切りがしてある。出雲フレンドリー!

・「式年遷宮」制度を思いつく
思いついた理由や20年に一度の理由も記録がないため不明。
だがとにかく第41代持統天皇の時に記念すべき第1回が行われた。
※木造建築は長持ちしないからとか、技術を継承していくためとか諸説ある。
※この時代に創建された法隆寺の方は、建て替えてないので世界最古の木造建築として今も残っている。

・712年「古事記」を書かせる
担当:太安万侶(おおのやすまろ)
国内向けに、天皇家が統治する根拠と正統性を示すために書かれた歴史書。
国譲り、天孫降臨などの神話に力が注がれているので、全3巻のうちほとんどが神話時代の話。

・720年「日本書紀」を書かせる
担当:息子の舎人親王(とねりしんのう)
日本国の歴史書であり、海外向けの日本正史であるとされる。
その証拠に和文で表現されている古事記とは違い、日本書紀は漢文で書かれており、中国の人が読んでも理解できるという。
あんまりファンタジーなことを書くと中国人に馬鹿にされるので、全30巻のうち神話編は1巻~2巻の前半まで。

・「大宝律令」を作り始める
担当:藤原不比等(ふじわらのふひと)ほか
唐の律令を元にジャパナイズしていった法律。完成したのは第42第文武天皇の頃。
その中で「神祇令」という20条の規則が定められ、天神地祇の祭祀は政府の神祇官が統制することになった。
神祇官は地方の神社の名や由来を調べて「神名帳」という名簿を作成したという。皇祖神をまつる伊勢神宮を頂点として全国の神社が体系化されていった発端である。神祇令ではまだ斎王は定義されなかったが、後の「神祇式」では天皇の命令で置かれることが明記されている。

・薬師寺を建てる
嫁の持統天皇が病に伏せた時、快復を祈って建てた寺。

■春日大社

ところで、この大宝律令に関わった藤原不比等。
藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を奈良の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称した最初の人である。
その後、称徳天皇によって残りの3神「経津主命」「天児屋根命」「比売神」が勧請され、春日大社の社殿が造営された。

■第41代 持統天皇(天武天皇の妻)

私こそがアマテラス

・反対を押し切って天皇として初の伊勢参拝を強行
・斎王を廃止(次の天皇では再開)

自身が女帝なこともあり、アマテラスには並々ならぬ関心があったらしい。
むしろ日本書紀は持統天皇をアマテラスのモデルにしたのではないかという説もある。
愛人・柿本人麻呂に「高照らす 日の皇子」のような表現で自分の歌を詠ませたりしている。

■第43代 元明天皇

藤原京から平城京に遷都した女帝。即位前に伊勢に参拝している。

・「風土記」の編纂令を出した
地方の歴史や文物を記した風土記。もちろん民話も入っている。
現在までほぼ完全な姿で残されているのは出雲・常陸・播磨・豊後・肥前の5国の風土記だけである。

・伏見稲荷大社
関係ないけど、この天皇の代の時に稲荷山に降臨したとされている。

■東大寺と宇佐八幡宮の台頭

寺マニア第45代 聖武天皇。
奈良No1ヒューマンストラクチャー「東大寺の大仏」を建立した人物。
仏僧・行基とともに他にも諸寺院を建立し、多くの土地を寄進したりして国家財政を乱していたらしい。

そのマブだった行基が81歳で亡くなってしまい、聖武天皇は新たな相棒としてまさかの神「八幡神」に目をつけた。

・大仏予算に反対する貴族たちを納得させるため
・銅の鋳造に長けた渡来人たちの技術を利用するため
(八幡宮の八幡神は、新羅から来た渡来人がもって来た神なので、転じて金属鋳造の神ともされた。)

八幡神を奈良へ勧請

梨原宮に造られた新殿を神宮とし、東大寺に神輿を入れた。
ちなみにこれは文献で確認できる日本最古の神輿である。

5000人の僧侶によって読経が行なわれ、様々な舞が披露され、八幡神はまさに賓客としてもてなされたという。

伊勢ガン無視で、八幡神が国家神へと位置づけられたイベントであった。

無事に大仏建立を成就できたことにより、八幡最強!霊験あらたか!とますます八幡神の人気がアップ。
その後、源氏の武将たちがこれを熱心にまつったことにより、八幡神社の時代が来る。

■手向山八幡宮(東大寺八幡宮)

宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請された八幡宮。
神仏分離の際に東大寺から独立した。
当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、今は東大寺大仏殿前の道を東に行った正面にある。

■伊勢神宮寺(現・金剛証寺)

聖武天皇の娘もまた仏教フリークであり、出家したまま天皇になった女帝である。
第48代 称徳天皇(第46代孝謙天皇と同一人物)に即位後、日本の神は仏の門下にあるとして伊勢神宮内や各地に「神宮寺」を建立した。

また、称徳天皇は神社の位階である神階制度も開始。
仏教でのランクを日本の神にも適応させた。

伊勢神宮寺は「伊勢神宮内宮の奥の院」として、お伊勢参りでは必ず訪れる場所だっが、明治初年の神仏分離でお伊勢参りから外され、今では別の寺になっている。
祀られているのは、雨宝童子(うほうどうじ)。アマテラスが16歳のとき、日向に降臨した姿であるとされる。

かの道鏡は、この称徳天皇に「法王(仏教的には天皇より身分が高い)」として召喚されていた。
称徳天皇は道鏡がかなりのお気に入りだったらしく、道鏡の宇佐八幡宮神託事件でウソを暴いた和気清麻呂を島流しにしている。

「そのときイノシシがね…」

「そんなことより春日は称徳天皇の勅令により完成したのです…!!」

なお天皇は悪く言えないので、道鏡の方を「女帝をたぶらかして皇位を狙った不届き者」として歴史上の悪人に数えられている。

© 2020 瞬月凌