瞬月凌

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伊勢神宮④:平安~鎌倉時代の話

■第50代 桓武天皇

平城京から長岡京および平安京への遷都を行った天皇。
側近に和気清麻呂を置いたり、最澄を還学生(短期留学生)として唐で天台宗を学ばせたりしていた。

・「続日本紀」を作らせる
担当:菅野真道
全40巻もある。

・皇太神宮儀式帳が伊勢神宮の宮司たちから提出される
伊勢内宮の行事・儀式など23か条を記した文書。伊勢マニュアル。
外宮のマニュアルは「止由気宮儀式帳」。

■第60代 醍醐天皇

・「延喜式」を作らせる
担当:藤原時平~藤原忠平
第9~10巻には当時朝廷から重要視された神社「官社」に指定された全国の神社一覧「延喜式神名帳」がある。もちろんトップは伊勢神宮。

すでに存在したはずであるのに延喜式神名帳に記載されていない神社は式外社(しきげしゃ)と言い、朝廷の勢力範囲外の神社や、独自の勢力を持っていた神社が記帳されていた。熊野那智大社、石清水八幡宮など。

なお、一つ前の宇多天皇が右大臣として重用していたのが後の天神さまである菅原道真。
延喜式を編纂した左大臣・藤原時平は昌泰の変で、醍醐天皇に謀反の噂を流して道真を左遷させた。

■第61代 一条天皇

小狐丸を作らせた人。
また、祟を起こしまくる菅原道真に「北野天満宮天神」という神格を与えた人。

■伊勢神道

外宮の神職(度会氏)の間で唱えられるようになった流派。

・反本地垂迹説
熊野や日吉の山王神道などの「日本の神々は、仏の化身として日本の地に現れた権現である」という本地垂迹(ほんじすいじゃく)説の逆説。
度会氏は「神が主で仏が従うべき」と唱え、元寇で神風が吹いたこと(アマテラスのおかげ、八幡のおかげその他諸説あり)でさらに発展していった。
ちなみに吉田神道は反本地垂迹説自体は支持していた。

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