瞬月凌

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伊勢神宮⑤:室町~戦国時代の話

応仁の乱で領地を荒らされて大変!式年遷宮をするお金もない!
しかも吉田神道が台頭しちゃって大ピンチ!

実際120年以上遷宮が途絶えたという。

そこで財政建て直しのため、各地で参拝のための宣伝活動が行われた。
寺社の布教活動や案内人をする者を御師(おんし)という。

伊勢の御師は各地にガイドブックや伊勢暦(いせごよみ。当時の人たちは暦を手にするまで、一年の日数も月の配列も知らなかったという。)を配ったり、空から御札をばらまいてみたり、祈祷で死人が生き返ったとか噂を流してみたり、とにかく様々な手でプロモーション活動をしていった。

また、伊勢に住む御師は宿屋も営み、参拝客をスウィートルーム(絹でできた布団とかがある)でもてなすなどしていたという。

■吉田神道の台頭

応仁の乱の戦火で吉田神社が焼け落ちた頃

神祇官だった吉田兼倶「民はみんな不安よな。吉田、動きます!」

吉田家:神祇管領長上(実務方トップ)
白川家:神祇伯方(事務方トップ)

実務を担う吉田のほうが有能だったのである。

・斎場所大元宮(宇宙神の家)を建てる
吉田「ここが宇宙の中心!」

・二度にわたり不思議な器物が吉田山斎場所に落下
ちょうどその頃、吉田は「伊勢の外宮が放火され、御神体が行方不明になっている」という情報をキャッチ。
吉田「閃いた」

吉田「ウチに落ちてきたやつ、伊勢神宮の御神体ですわ!」
後土御門天皇「マジ?じゃぁもうそこがトップじゃん!」
吉田「ハイ!」

伊勢神宮「!?!?!?」
白川家「あわわわわ」

伊勢神宮は猛抗議するが受け入れられず、以後、吉田一派を「怨敵」「神敵」と呼ぶようになる。

全国の神社を統括できる立場となった吉田神道はさらに権限を行使していった。

・「鎮札」を発行
文字通り神様の怒りや祟りを鎮めるためのお札。吉田に免じて許してね!

・「宗源宣旨」を発行
神社の位を証明するための証明書。
吉田の推し神社ランク!正一位の称号もあげちゃう!

それまで神職というのは、地方の有力神社に奉仕する家が力を持っていて、村の神職などは、その下にいるという図式になっていた。
しかし吉田の推し神社に入って位階をもらえばそれも解決!
これまで不満を抱えてきた村の神職たちは競って「宗源宣旨」を求め、京都の吉田山を目指し献金しまくった。

僧侶のように本山末寺制もない不安定な神職は、吉田家を〝御本所〟として頼ることに。

・「神道裁許状」を発行
神社で礼を欠く行動を行っても祟りが起こらないようにする証文。
吉田の名のもとに何やってもOK!無礼講!

■天下の〝神使い〟吉田家エピソード

その①
民衆「水を使って行水するの冷たすぎて無理みが深い」
吉田「はい、神道裁許状」
神 「あ、じゃぁ…お湯でやってもいいです…」
吉田「良かったね!」
民衆「吉田最高じゃん!」

その②
当時、村の氏神などは「御嫌物」と言って特定の生産物を嫌う設定があった。
吉田「はい、宗源宣旨。正一位してあげる代わりに御嫌物は解いてね。あとこれ、神道裁許状。」
神 「自分…麦アレルギーなんだけど…いいです…」
吉田「良かったね!」
民衆「吉田最高じゃん!」

御嫌物を神様に許してもらえば、新たな村の特産品ができるとビジネス上も大人気。

■天下人に頼られる吉田家エピソード

足利義満
日吉神社への参拝作法などを吉田に相談。

織田信長
吉田に「堂上公家(御所の清涼殿南廂にある殿上間に昇殿する資格)」の位階を授ける。
※吉田は手土産を携えて頻繁に挨拶に訪れ、たとえ面会してもらえなくてもくじけなかった。そして営業のかいあって吉田家を公家に格上げしもらえたのである。

明智光秀
美濃国の親類が、山王神社の敷地に新しく城を築いてから体調が優れないので吉田に祈祷をオーダー。
公家の代表として吉田に京都の治安維持を任せる。

豊臣秀吉
娘が病にかかり、狐憑きになったとして稲荷神のせいかもと吉田に相談。
吉田は秀吉の死後「豊国社」を設立して秀吉を神にした。

徳川家光
伊勢神宮のプロモーションで“伊勢踊り”が大流行。
「めっちゃ不気味。吉田に相談だ!」

ちなみに『徒然草』の吉田兼好もこの吉田一族になる。

■一時衰退する吉田神道

家康の死後、この天下人をどう祀るかで、家康のブレーンだった天海(日吉神社を建てた僧)とバトル

天海「日吉神の称号は山王大権現!つまり神の最高称号は大権現!家康さんは東照大権現です!」
吉田「ハイ…大明神は…二番手です。」
天海「日吉は何事にもマサル!

※吉田式によって豊臣秀吉は大明神として祀られいる

論争の結果、天海が勝ち、継承問題もあって零落した吉田家だったが、たまたま有能な門下生が入り再び蘇る。

・吉川惟足(よしかわこれたり)
商人出身ながら、吉田の分家「萩原兼従」の門下に入り、吉田神道を伝授される。
そこから当時流行りの儒教と神道をミックスした新しい吉田流派を開く。
将軍徳川家綱を始め、紀州徳川家・加賀前田家・会津保科家などの諸大名の信任を得て、再び吉田神道を政界へ導いた。

■徳川幕府「諸社禰宜神主法度」発令

神主に対する絶対の裁量権を吉田家に与える条文。
※神主の服装が基本的に白装束になったのもこの条文に盛り込んであるから。白は吉田のセンス。

吉田、ついに全国の神社の頂点へ!

幕末に誕生した天理教や金光教、黒住教などの教派神道も、看板を掲げる時に吉田家からお墨付きをもらっていた。

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