瞬月凌

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伊勢神宮⑥:江戸時代の話

吉田神社に深い恨みを持ち続けた伊勢神宮。
吉田家の者には宮川を渡らせないと何世代にもかけて怒り狂っていた。

ついに、外宮の神官が綿密な考証で吉田家を批判した『弁卜抄』という本が出される。
さらに漢文体の文章を仮名交じり文に置き換え、庶民にも読みやすくした『増益弁卜抄俗解』も出した。

しかし、政治は吉田神道に持っていかれたまま。
一方、風俗慣習などで庶民を味方につけていた。

伊勢の御師たちは、伊勢暦の配布や豊作祈願の対価としてのお米を初穂料としてもらい生計を立てる一方で、宿坊や料理の案内と提供でお金を取らないというビジネスモデルを確立し、気軽にお伊勢参りができるシステムを作り出していたのだ。

■お蔭参り

応仁の乱依頼続けていたプロモーションが功を成し、「お蔭参り」ブームが到来!
なんとおよそ60年周期(「おかげ年」と言う)で3回もブームになったとか。

通信・交通手段が発達したことも後押しした。

幕府はこの騒ぎをきびしい封建社会のガス抜きとみなして静観し、かえって参宮の便宜をはかったという。
家光が直接相談しているので、吉田家の入れ知恵もあったかもしれない。

伊勢神宮参拝であれば、キリシタン以外誰にでも通行手形が発行され、道中も各所で手厚く歓迎された。

■抜け参り

奉公人や身分の低い者でも、伊勢参拝の旅なら主人は許可を出さねばならないという風潮。そして、道中無一文で施しを受けながら参詣を可能な風習。

参拝者は街道沿いの人々に感謝し、村々でもおかげ踊りがはじまり、人々は歌い踊りながら伊勢へ向かった。
幕末の「ええじゃないか」はお蔭参りが変容したものだともされている。

■お伊勢講

遠方からの参拝はお金がかかるので、近所で「お伊勢講」という積立てグループを作って、くじ引きで当たったものが代表で参拝するというシステムまであった。当選者は翌年以降全員が当選するまでターンが回ってこないというルール。

■おはらい町(おかげ横丁)

伊勢の門前町。伊勢参拝での滞在中に世話をしてくれる御師達が館を連ねて、参拝客を泊めたりお祓いなどでもてなしたことから、「おはらい町」と呼ばれるようになった。
今のおかげ横丁は当時の賑わいを再現すべく、赤福の会社が企画運営している。

© 2020 瞬月凌