歌詞/小説/朗読台本

朗読台本「夜光蝶」

2023.02.22.猫イベVol.69 朗読台本
<番妖愁⽉綺譚シリーズ>不河礼⼆の取材ノート・夏祭り編

深く冷たい闇の中で、⼥は⼿を伸ばした。
愛した記憶、愛された記憶、⽣きていた記憶。
⾃分を構成していたものが、ひらりひらりと剥がれ落ち、蝶のように舞い上がって消えていく。

もう⼀度だけ生きたい。

どこへ︖

もう⼀度だけ会いたい。

誰に︖

⼈は⼈から忘れられた時、本当の死を迎える。
⼥の存在した記憶は⽔底に消え、強い欲念だけが残された。


****

ポツリ、と額に落ちてきた⽔滴を拭うと、不河礼⼆(ふかわれいじ)は肺⼀杯に吸い込んだ煙を、ため息交じりに空へと吐き出した。


さっきまで強い⽇差しが照りつけていたはずなのに、急に暗くなったかと思えば、通り⾬に降られてしまった。
これから神社の祭りを観に⾏くというのに、ツいてない。


怪談や⼼霊現象を専⾨にするフリーライターはごまんといるが、 不河 は特に⺠話や実体験に基づいた都市伝説を得意とするタイプだった。
地元⼈への取材や郷⼟史を参考にしながら、怪異の謎や起源を紐解いていく。


⼀昔前のオカルトブーム中はまったく振るわなかったが、⼈々がエビデンスを求めるようになったここ数年の間で、スピリチュアルではなく、史実に沿ったスタンスが受け、いくつか連載をもらうまでになった。
そうして実際に訪れた各県の伝承を執筆しているうちに、旅⾏雑誌の仕事も舞い込むようになったのだ。


不河が昨⽇から滞在している次⾨町 (つぐかどちょう)は、S県北部に位置し、標⾼1000mを超える⼭々に囲まれた町だ。

東京から電⾞とレンタカーで約2時間半。
夏の避暑地として温泉と稲荷神社を中⼼に 栄えた⽥舎町だったが、バブル経済が崩壊してからは団体客も減り、今ではすっかりマイナーな旅⾏先となっている。

そんな次⾨町には次のような伝承がある。

昔、この村には⿊狐と⽩狐の夫婦が住んでいた。
あるとき、⽩狐は村を川の氾濫から救うため、⿓に姿を変え、もう⼀つの川を作り、天に登って消えた。
残された⿊狐はいつまでも⽚割れが戻ってくるのを待ち続け、ついには⽯になってしまった。
稲荷⼭頂上にある狐⽯(きつねいし)は、その⿊狐が変わり果てた姿で、今もなお空を仰いで⽚割れの帰りを待っているのだという。

ふるさと民話 「番吼噦(つがいこんかい)」

この伝承は「番吼噦(つがいこんかい)」と呼ばれ、この地域では誰もが知っている昔話だそうだ。

番狐(つがいぎつね)のモチーフは縁結びの象徴として、神社のお守りや地元名産品のパッケージなどにあしらわれている。

昭和の⾯影を強く残すレトロな町並みに、 良縁成就のパワースポット。
前々からこの町に⽬をつけていた不河は、⼥性旅⾏誌の話が来たとき、すぐに企画書を出したのだった。


****

「怪談…ですか︖」

商店街の取材を終えて観光案内所に戻ると、笠⼭(かさやま)がキョトンとした顔で聞き返した。
⽥舎暮らしに似つかわしくない⽩い肌とイントネーションから、彼がこの⼟地の者ではないことはすぐに分かった。聞けば、東京から派遣された地域創⽣コンサルタントだという。

まだ若いのか、仕事に対していちいち情熱的だ。


笠⼭は観光客誘致や移住⽀援の推進にも携わっているらしく、旅⾏雑誌の取材と聞いて、朝からあれこれと世話を焼いてくれたのだった。


「ええ。何か怖い話や噂を聞いたことはありませんか。他にも、この⼟地独特の恐ろしい⾵習とか。」

「そ、そんなものありませんよ︕もっと⼈間たちが訪れたくなるようなことを書いて下さい︕」

怖い⾵習と聞いて焦った笠⼭は変な⽇本語で否定した。

「はは、今回の旅⾏誌には載せませんよ。ただ、僕の本職はオカルトライターの部類でね。⽇本各地の郷⼟史や妖怪伝説を集めているんです。怪談ネタがあれば、ぜひ別件で取材したくて。 」

「う〜ん、そうですね。『稲荷⼭頂の 狐⽯は夜になると動き出す 』とか…あ、あと 『 ⻯ヶ淵(りゅうがぶち)には⼥の霊が出る』という話は聞いたことがあります。 」

「 ⻯ヶ淵︖」

「稲荷⼭道中(いなりやまどうちゅう)の治⽔記念公園から⾒える渓⾕ですよ。過去に⾏⽅不明者や遭難者が出たこともあって、登⼭客や⼯事の労務者の中には、不思議な体験をした⼈がいるとか。去年の⼤⾬でがけ崩れがあったので、現在は⽴⼊禁⽌にしています。」

「なるほど。稲荷山の神社には、夜にもう⼀度登ろうと思ってたんですよ。花⽕⼤会もありますし、⽇中とは違った雰囲気の写真が撮れますからね。」

ああそれなら、と笠⼭はカラーコピーされた⼿描きの地図を取り出し、デスクに広げた。
稲荷⼭マップと書かれたその地図には、⾚い丸で囲まれた箇所がいくつかある。

「地元の⼈にしか知られていない、花⽕の観覧スポットです。よろしければ、どうぞ。 」

不河は笠⼭に礼を⾔い、⼀旦ホテルに戻ると祭りに出かける準備をした。


****

⾨前町商店街に到着すると、⼤勢の⼈が浴⾐姿で出歩いていた。
⾬上がりの参道は、すでに夜店の屋台で埋め尽くされ、⽔溜まりに提灯の灯りが反射してキラキラと光っている。

奉納花⽕⼤会は、毎年⾏われる稲荷感謝祭のフィナーレを飾る催しだ。
隅⽥川や東京湾花⽕⼤会のような盛⼤さはないが、⾵情ある光景を観に、 県内外から観光客が訪れる。

夢中で写真を撮っていると、思いがけなく肩がぶつかった。

「あっ、すみません。申し訳ない。」

「いいえ。」

狐⾯の半⾯をつけた⼥性が上品に会釈する。

⿊地に⻘や⻩⾊の花模様があしらわれた浴⾐と、⼝元だけでも分かる隙のない化粧。
優雅なたたずまいと洗練された雰囲気に、不河は⼼を惹かれた。

「狐⾯ですか。 半⾯と は珍しいですね。」

⼥性は面をつけたまま、にっこりと微笑んだ。

「ここでは、みんな狐の張り⼦⾯をかぶって、神の使いに扮するんです。⾥で稲の育成を⾒守ってくれた神様が、⼭へお帰りになるのを、感謝を込めて⾒送るんですよ。」

⼥性の⾔う通り、境内に近づくに連れて、狐⾯を被った⼈が増えてきた。
みんな⾊んな形の狐⾯を思い思いに被っている。

「次⾨へは観光ですか︖」

「ええと…、いえ、旅雑誌の取材で。」

「そうですか。それはそれは。これから⽒⼦と神職のみで執り⾏う神事が始まるのですが、⾒学なさいますか︖」

「いいんですか︖ぜひ。」

⼥性は、瑠璃(るり)と申します、と名乗り、先導して歩き出した。
源⽒名のようだが、花街のホステスだろうか。世話になるのだから、祭りの後に⼀杯くらい訪ねていってもいい。

⾮⽇常が広がる⾵景に、美⼈との出会い。
不河の気持ちは華やいだ。


****

稲荷⼭の麓から神社までは、延々と続く急勾配の⽯階段が壁のように伸びている。
灯篭に照らされ、ゆらめく夜の階段は、遠⽬で⾒ると朱い⻯のようだ。

眺める分にはいいが、実際登るとなるとなかなかにハードだった。

始めの⽅こそ雑談をかわしながら進んでいたが、⽇頃の運動不⾜のせいか、すぐに息が上がって無⾔になる。
瑠璃さんはさすが地元⼈なのか、しゃなりしゃなりと登っていく。

息を整えようと辺りを⾒回したところで、 不河は妙なことに気がづいた。

もう何本も⿃居をくぐり、階段を上がっているのに、⼀向に神社の本殿が⾒えてこないのだ。


****

次⾨600階段といっても、それは町より下の登⼭⼝から数えてのことだ。町の中⼼から神社までは、10分もあれば着いてしまう。
稲荷⼭マップによると途中に⽴つ⿃居はたった12本だ。

道を間違えたのだろうか︖

いや、そんなはずはない。
曲がりくねっては いるが、参道は⼀本道のはずだ。


⼈気(ひとけ)のない⼭道でお囃⼦の⾳⾊は遠くなり、⾃分の⼼⾳がやたら⼤きく聞こえてくる。

不河は瑠璃さんの背中を⾒つめた。

灯篭の灯りが、⾵に揺らめく 。

――「今⽇みたいな⽇は、此岸(しがん)と彼岸(ひがん)の境界が曖昧になるんですよ。」



不意に上から声がして、瑠璃さんが⽴ち⽌まる。
⾒ると、⿃居の上から真っ⿊な男がしゃがみこんで、こちらを⾒下ろしていた。

古びた⿊の浴⾐に、⿊い⿐緒の⼀本下駄。
持っている番傘まで真っ⿊だ。

「こんなところに居たんですねぇ。」

ひょいひょいと⿃居から⿃居へと⾶び降りながら、男が近づいてくる。

⽬線を合わせ、再びギョッとした。
男は⿊い狐の⾯をつけていたが、⾯の半分が真っ⿊に塗りつぶされている。


「あの…」

声を出した瞬間、不河は胸ぐらを掴まれ、宙に放り投げられた。


「―― 何だ︖今のは。」


⾒間違いではなかったら、瑠璃さんの⼿が伸びなかったか︖
3メートル離れた先から。

何が起こったか理解できないまま、不河の頭上に激しく流れる川が接近した。
正しくは逆さまになった不河が川の中へ吸い込まれていく。

ーーーーー落ちる…︕︕


⽬を瞑ったその時、⼀陣の⾵が不河の体を抱き込み、⼭側へと巻き戻した。

受け⾝を取れるような運動神経を持ち合わせていない不河は、地⾯へと乱暴に叩きつけられた。


⽬を開けると、眼前に、反り⽴つような険しい崖に囲まれた渓⾕が現れた。

轟々と流れる川⾳が辺りに響く。


⻯ヶ淵だ。


瑠璃さんが今度は6本の⼿を伸ばす。
⼿の先は鋭い刃物のように、周辺の⽊々を切り刻みながら男に向かっていく。


狐⾯の男は⾵に乗り、それを⼨⼿で躱しながら瑠璃さんとの距離を詰めていった。


男が番傘の柄をすらりと抜く。
仕込み⼑で襲ってくる⼿を数本切り⾶ばし、男はそのまま瑠璃さんの懐に⾶び込んでいく。

刹那、瑠璃さんの背中がぱっくり割れ、突起のような⾻が抉り出る。


「あなたもここで沈みなさいな︕」


それは⼀瞬にして広がると、巨⼤な⽻根となって旋⾵を巻き起こし、空中で攻撃姿勢を取った男を直撃した。

男はストンと膝をつき、前に倒れた。

かと思うと、そのまま溶けるように消え、代わりに⿊い狐が姿を現した。

「忌々しい眷属ね︕マフラーにしてあげるわ︕」


瑠璃さんの顔が醜く歪み、くっきりと紅の引かれた⼝が縦に裂ける。
左右から何本もの鋭い⽛を⽣やした瑠璃さんは、巨⼤な蝶の化け物となっていた。


蝶の繰り出す攻撃を除けながら、⿊狐が呟く。


「華⽉(かずき)さん、着きました︖」


それと呼応するかのように、巨⼤な暗雲が沸々と湧き上がり、雷鳴が唸った。

⻯ヶ淵の ⽔⾯が盛り上り、中から銀⾊の⻯が空に向かって現れ咆哮を上げる。

⻯はそのまま巨⼤な⼝で蝶の⽻に齧りついた。


⿊狐が躍り出て再び⼈の姿となり、⼑を構えた。
剣先から光が放たれ、辺りが真っ⽩になる。


次の瞬間、遅れてきた轟⾳が鳴り響き、蝶の体は真っ⼆つになっていた。

その体が砂のように崩れ、⻯とともに淵へと吸い込まれていく。

だんだん⼩さくなる渦の⾳とともに不河の意識は遠のいていった。




「遅いですよ⾵斬(かざぎり)さん︕華⽉さん︕」

笠⼭は真っ⿊な狐⾯の男と、隣を歩いていた⽩い狐⾯の少⼥を呼び⽌めました。

「いや〜途中で美味しそうなホルモン焼きそば⾒つけちゃって。ね、華⽉さん。」

「たこ焼きも⼿に⼊れたのです。ね、⾵斬さん。」

⼆⼈は飄々とした様⼦で運営本部のテントをめくりました。
テントの中はたちまち⾹ばしいソースの匂いが広がり、朝から何も⾷べていない笠⼭は⿐をひくひくさせました。

「嵩⾳(かさね)さんもいります︖」

「ここでは笠⼭︕」

嵩⾳さんは声を押し殺して叫びましたが、⼆⼈は気にする素振りもなく、パイプ椅⼦を占領して屋台グルメを⾷べ始めました。

「で、どうだったんですか︖」

「原因は蝶の妖でした。不河さんは回収して社務所に預けてきましたよ。」

「回収って…だ、大丈夫だったんですか︕?」

「途中気がついて質問攻めにしてくるから、これいじょう喋ったら殺⽣すると、キツく⾔っておいたのです。」

「かわいそう…」

嵩⾳さんは傍若無⼈な⼆⼈の相⼿にだんだん疲れてきました。

「はぁ…でもこれでやっと⻯ヶ淵の⽴⼊禁⽌看板が撤去できますね。しかし蝶の妖ですか。⼀体どこから発⽣したのやら…。」

「それに関しては、不河さんの取材メモに。」

「『芸娼妓解放令をうけ、S県は県内の遊郭を廃⽌…⾏き場を失った遊⼥・瑠璃蝶(るりちょう)は恋仲にあった男と故郷の次⾨で再会する約束をした。しかしどれだけ待っても男が現れることはなかった。追い詰められた瑠璃蝶は⻯ヶ淵で⼊⽔(じゅすい)』…」

「⾃分の存在や職業が忘れ去られていくのが、寂しかったんでしょうね。妖になってからも、 捨てられた恨みから、恋⼈に似ている⼈間を川底に引きずり込んでいたようです。 」

「そうでしたか。まぁ我々神使も⼈間たちの信仰⼼が薄れて、無くなってしまえば、存在ごと消えてしまいますからね。気持ちはわかります。そのためにも、次⾨の⼈⼝減少を⽌め、観光客の誘致を急がなければ…︕」

「それより嵩⾳さん。不河さんに渡してたあれ、花⽕の観覧スポットじゃなくて、転落ハザードマップですけど、良かったんですか︖」

「え…………︖」

「転落ハザードマップ。これから花⽕⾒に⾏くって⾏ってましたけど。」

「…………。」

嵩⾳さんはしばらくキョトンとした顔で⾒つめていましたが、みるみる顔⾊が悪くなっていきました。

「ああー︕︕あわわわわどどど どうしましょう どうしましょう。不河さんが⾜を滑らせて川にでも落ちてしまったらあわわわわ。」

「私はてっきり、次⾨の怖い噂を広めようとする⼈間を始末するつもりなのだと思っていたのです。我々の⾸領はなんと恐ろしいことをするのかと…。」

「し、しませんよ︕そんなこと︕華月さんじゃあるまいし!」

「しょうがないなぁ。じゃぁ今から追いかけて、正しい地図の⽅を渡してきますね。」

「も、申し訳ございません…お願いします…。」

しょんぼりと⽿を垂らした嵩⾳さんは持ち場に戻り、⾵斬さんと華⽉さんは尻尾を揺らしながら、再び稲荷⼭へと向かいました。

まもなくしてサイレンが鳴り、最初の花⽕が打ち上げられました。

今⽇は次⾨が⼀年で⼀番賑やかになる⽇。
⼈間も神使も同じ夜空を⾒上げながら、それぞれの思いを⼀瞬の花に託していたのでした。


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